休むに似たり。

2007年12月3日
考え事の日。

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お風呂につかりながら、先日の看護婦さんの問題(http://satoshi.blogs.com/life/2007/11/post-9.html)、意外とおもしろいなと今更気づきました。

あの論文が訴える問題をもう少し一般化すると、「優秀な人材が在籍する組織では、優秀な人材がそうではない人材のエラーを(暗黙のうちに)補償する。そのため、システムに不備がある場合でも深刻なエラーが顕在化する可能性が低下し、それに伴って、システムが改善される可能性も低下する。結果、全体としての効率は最適ではない状態に陥る可能性が高い。」みたいなことかと。

つまり局所的な最適解(ここでの効用は患者さんの満足度とか)を積み重ねていった結果、全体的な最適解が犠牲になってしまっている…って事ですよね。

では、優秀な人が他の人のエラーを補償しなければ良いのかと言えば、そうすると局所最適から離れるし、その結果、回復不能な致命的エラー(医療過誤)が生じる可能性が高まるわけで。

そうすると“他の人のエラーを補償しない”という選択を行うことによって生じるリスクがあまりに大きいうえ、「全体最適」になったときに得られる効用が未知なので、それらの選択を行うことに意味が見いだせなくなると。

(他の選択として、他人のエラーを補償する際はそれを明示的に行う(○×くんがやったこれこれの仕事はこれこれという不備があったから、私がこれこれという処置をして修正したよd(^-^)と,常に声を出す)という方法も考えられますし、他にも回避策は考えられますけれど、考えるとややこしいし、良い解決策があると面白くないので(!?)、ここではあえてエラーを補償しない戦略だけで。)

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iuは(純粋培養の理系といっても過言ではない経歴の人間でありながら)数学が全く苦手なので、従ってゲーム理論も入門書の最初の数ページでイヤになって読まなくなったりする人間ですが(マテ。)、この状況ってすごくゲーム理論的。

(で。すごくゲーム理論的なので、すでに誰かが考えてると思いますけれど。)

さらにここに、人間の限定合理性などの要素まで入れ込んでくると、もう色々と妄想が膨らんで、色々考えてるだけで幸せです。ええ、もう休んでるのに似てるって言うか、本当に無駄ですけど(笑)

まぁ趣味ですから(^皿^)

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非線形力学系の解析のプログラムを作っていたときや、Arrowの一般不可能性(数学的には複数の人間の意見を合理的にまとめられないよ〜(T□T)と言うようなお話)なんかを勉強したときにも、面白いなぁと思ったものですけれど。

なんて言うか、ここでは、みんなが自動的に幸せな状態(最適解)にたどり着けるような装置って言うのは構築できるようにはなっていないんですね。

でも、人間って色々なところでそこそこ上手くやっている。
う〜ん、面白〜い♪

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おしまい。

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